飲み会のあと、どっと疲れて何も手につかない。翌日は頭が重く、気力もない。帰りたいと言えず、空気を読んで笑い続けたあの時間。あの一杯が、もしなければ——今、あなたはもっと違う場所にいたかもしれない。
Contents
飲みにケーションという幻想
「チームの絆が深まる」「本音が話せる」「距離が縮まる」
これらは飲み会を正当化するための便利なフレーズにすぎない。
飲みにケーションは、かつての日本企業において非公式な人間関係を築く場として重宝された文化だが、現代においては時代錯誤な制度と化している。メンタルヘルス、働き方改革、Z世代の価値観変化など、あらゆる環境が変わったにもかかわらず、この慣習だけがしぶとく残り続けている。
心理的安全性ではなく、心理的負債を生む仕組み
飲みにケーションは、自由な対話を生むはずが強制的な参加と忖度の連鎖を生み出す。
Googleのピープルアナリティクス部門は、チームの成果と心理的安全性の相関性を研究し、オフィシャルな場で意見が言えることの方が重要であると結論づけた(Project Aristotle, Google)。一方、飲み会は「その場だけ」の安全を装い、組織の根本課題を放置する口実になっている。
1回の飲み会で失うもの
- お金:平均予算5,000円×月2回=年12万円
- 時間:拘束3時間+往復1時間×月2回=年間96時間
- 思考力:アルコールによる集中力の低下、翌日の倦怠感
- 機会損失:勉強、読書、副業、運動、人間関係の構築など、未来につながるすべての活動時間を損なう
仮にその96時間をプログラミング学習に使っていたら、アプリを一つリリースできていた可能性もある。
NetflixのCEOリード・ヘイスティングスは「非生産的な時間を削るのが、成長する会社の共通点」と語っている。
飲み会で築ける関係は「幻想」か「依存」
一夜限りの本音は、本当の信頼関係とは呼べない。
その場の雰囲気に飲まれただけの発言、酔った勢いの共感、テンションだけで繋がった友情——どれもアルコールが抜ければ霧のように消える。
例えるならば、砂糖水でできた橋を渡っているようなもの。踏み出すたびに溶けて崩れ落ちる。「つながり」はあるように見えるが、実体がない。
上司の「気づかい」という名の自己満足
「部下のために場を用意している」「話しやすい空気を作っている」
その実態は、部下の貴重な時間と自由を奪い、自分が“いい上司”であるという自己イメージを守る行為でしかない。
参加者は「断りづらい」「空気を壊せない」と感じて、黙って合わせている。
これは対話ではなく、同調圧力の演出である。
代替案:場ではなく構造を変える
- 1on1ミーティングの制度化:上司と部下が業務内でじっくり会話できる時間を確保する
- 非同期の雑談チャンネル(Slack, Teams):話したい時だけ話せる環境をつくる
- テーマ別の自由参加型ミーティング:趣味や関心でつながる場に限定する
- 勤務時間内での軽食付きカジュアルランチ:アルコール無し、平等参加
これらは「つながる」ことよりも、つながるための選択肢を広げることに重きを置く。
自由意志が前提にある場だけが、本当の関係性を生み出す。
まとめ
飲み会は、気づかないうちにあなたの未来から時間・お金・集中力を奪っていく仕組みになっている。
「楽しかった気がする」「あのときは盛り上がった」
その曖昧な満足感の裏で、確実に失っているものがある。
一杯の酒に隠された“予定調和のストレス解消”を、変化しない組織文化のアリバイ工作にしてはいけない。
自分の時間、自分の頭、自分の人生。
奪われないように守ることが、これからの働き方では最も生産的な選択となる。