働き方

【警告】あなたの8時間、今日も会社の燃料にされましたよ?

毎朝出社して、メールをさばき、会議に出て、タスクを処理して帰宅する。手を抜かず、きちんと働いているのに、充実感はどこにもない。やり切った感覚よりも、何かを失っている気がする。いつの間にか、仕事が自分の人生そのものを侵食している。気づかないふりを続けることで、今日も同じ一日が繰り返される。

ブルシット・ジョブとは何か

デヴィッド・グレーバーは『ブルシット・ジョブ』でこう定義している。
「本人ですら、その仕事が社会に役立っていると思えない仕事」
上司のご機嫌取り、意味のない承認フロー、誰も読まないレポート。存在するのは「やっている感じ」だけ。働いているという事実は残るが、何も変わらない。

この仕事がなければ社会は困る。そう信じていればまだ救われるが、心のどこかで「別にいらないのでは?」と感じてしまう。それがブルシット・ジョブの根源にある苦しさだ。

グレーバーはこの仕事を、「魂を静かに腐らせる」と表現している。
役に立たないと自覚している行為を毎日続けることは、人間としての根源的な自信を奪う。誰からも強制されていなくても、自ら仕事に従ってしまう。それが一層、やり場のない虚無感を強めていく。

実績を積んでも、なぜ虚しさは残るのか

努力して実績を出して、昇進や評価を得る。周囲から称賛される。
しかしそのとき、自分の内側には奇妙な空洞が残っている。
「これって本当に、やりたくてやったことだったのか?」という疑問が、ふと浮かぶ。

社会的な成功と、内面的な納得は一致しない。
職場での達成感は、やらされ感や義務感とセットになっていることが多い。
表向きはうまくいっている。でもその裏では、「やらなければならなかったからやっただけ」という事実がずっと居座り続ける。

哲学者ハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で、人間の行為を「労働」「仕事」「活動」に分けている。
労働は生命維持のための繰り返し作業。
仕事は人工物をつくるための行為。
活動は、自由の中で何かを表現する創造的な実践。
このうち、現代の多くの仕事は“労働”に分類される。
繰り返すだけ。そこに自己表現も目的もない。

どれだけ評価されても、それは“やらされていた”結果かもしれない。
つまり、自分の意思ではない。
誰かの指示、あるいは構造に従って動いただけの人生に、何を残せるのかという問いが立ち上がる。

人生時間から仕事時間を引き算すると何が残るのか

1日8時間、週5日、月160時間、年間約1920時間。
社会人になってから10年間で、およそ2万時間が仕事に消えていく。

この数字の意味を考える。
もし2万時間あれば、語学をゼロから学んでプロレベルになれる。
作家として本を何冊も書ける。
音楽をマスターできる。
子どもと毎日過ごせる。
何かをつくって壊してまたつくる、というサイクルを何度も回せる。

だが現実には、何も生み出さずに消えていった時間がそこにある。

人は、好きでやっていることには“理由”がいらない。
誰かに命令されたり、報酬を約束されなくても、自然にやってしまうことがある。
外をぶらぶら歩く。旅行のプランを立てる。言語の勉強をする。絵を描く。料理を試す。
これらは一般的に「趣味」と呼ばれ、“仕事より劣るもの”として扱われる。
しかし、幸福感が生まれるのは、いつもこの“無意味に見える時間”の中だ。

言い換えれば、人生の密度を決めているのは、評価でも業績でもなく、「意味があると思える瞬間」にどれだけ触れたかに尽きる。

「やらされる人生」の末路

気づかないまま年齢を重ねていく。
会社での評価は高くなる。
でも、ある日ふと立ち止まったとき、自分の人生を自分で決めてこなかったことに気づく。
仕事で予定が埋まり、考える時間がなくなり、思考の軸が「評価されるかどうか」になっている。
休日に何をしたいか分からなくなり、楽しさよりも回復を優先する。

人生は有限で、しかも不可逆。
過ぎ去った時間は戻らない。
何も考えずに受け取った仕事に、自分の時間を明け渡すということは、未来を誰かの都合に書き換えられることと同じ

そのとき初めて、
「本当にやりたかったことがあったのに、それに手を伸ばす時間すらなかった」
という、言い訳のきかない事実と向き合うことになる。

まとめ

あなたの仕事が無意味かどうかは、他人には決められない。
ただ、あなたの人生にとって意味があるかどうかは、あまりに重要な問題になる。
やらされて積み上げた実績は、空っぽなまま残る可能性がある。
気づいたときには、そのために差し出した時間を取り戻す術がないかもしれない。

幸福は評価の中には存在しない。
報酬でもない。
誰にも強制されずにやってしまうことのなかにしかない

人生から仕事の時間を引き算したとき、何も残っていないと感じるなら、そのまま進むのは危険だ。
「やりたかったのにやらなかったこと」が人生の後半にずっとつきまとう。
そうなる前に、今の時間の使い方を見直す必要がある。